たー坊の日記

読むこと、聞くこと、書くこと、世界の探求

2016/10/21の鳥取地震について

先月21日に鳥取地震が発生しました。

僕は鳥取県東部に住んでいますが、突然ガタガタ揺れ出して、次第に揺れが大きくなり、ものが落ちてきたりしました。(ぬいぐるみ1個だけでしたが)

 

その後はNHKの報道にもあったとおり、余震が続き、1週間ぐらいは大きな地震にも警戒しました。

この辺りは直接の被災地とはなっていませんが、それでもいろいろ考えたりしました。

 

まず、ツイッターとかがそうですが、当事者になってみると、被災地を心配したり、励ましたりする投稿が、とても心強く、うれしく感じるものだということです。

1ミクロン心配して投稿されたものでも、当事者は強く反応します。

これは当事者になって初めてわかったことで、これからまたどこか他所で災害があったら、僕も照れずにツイートとかしようと思いました。

 

それから余震が続くと、無意識のうちに身体がこわばるということです。

うちは父親が1週間ぐらいで風邪を引きました。

僕も本とか読む気になれず、ずっとグダグダしていたのですが、昨日久しぶりにマンガを読んで笑いました。

なんでもないように生活しているように見えても、疲れはたまるんだろうと思います。

僕は東日本大震災も神奈川県川崎市で体験しましたが、風呂に入ってるときにまた大きな地震が来たらどうしようと不安に思う気持ちは今回も同じでした。

 

それと同時に、ご近所さんや街中の人が地震が起きても普段通りの生活を続けていたことで、すごく安心しました。

地震が来てびびっているところで、いつも通りの日常を送る人は、それだけでまわりにいい影響を与えているのだとわかりました。

これは当事者になって初めてわかったことです。

 

スマホの警報は、鳴り出すとはじめはびっくりするのですが、早めに震度や津波の有無を知らせてくれるので、とてもありがたいです。

今回災害時において、何も知らないというのが一番恐ろしいことだと思いました。

なのでスマホと充電器と財布は鞄に入れて、いつでも持ち出せるようにしていました。

 

あとは、海の近くのイオンで、ここでまた大きな地震が来て津波がくるというようなことが起こったらどうしよう、とシミュレーションをしたりしました。

車の中で母親を待っているときにシミュレーションしたのですが、探しに行くとか、電話をかけるとかは危険じゃないかと思い、最終的には、母のことは母に任せて自分だけ逃げるという結論になりました。

母には、それでいいし、そのことを東北では「てんでんこ」というのだと聞きました。

僕は川崎で東日本大震災を経験して、あまりに恐ろしくて、震災関連のニュースは避けてきたので知りませんでした。

しかし自分の身の話ですし、なんだか地震も多いしで、普段から考えたり勉強したりすることも必要ではないかなと思いました。

 

 

なりきり自慢

僕は読書をすると行動に影響が出るらしい。

先日は、村上春樹の『1Q84』のBOOK3を読んでいたら、牛河という私立探偵が妙に気に入りました。

「俺にはとりたてて才能はないけど、粘り強さだけは自信がある。それだけで飯を食ってきた」

このようにうそぶく牛河に影響されて、僕も『1Q84』BOOK3を読書している間は、一時的に、辛抱強く、我慢強くなりました。

粘り強さや我慢強さといった、どちらかというと地味な特性も、なりきってしまうと、すばらしい美徳のように感じられたものです。

読み終わって数日がたち、牛河の影が薄くなると、また元の自分に戻ってしまったわけですが。

 

カート・ヴォネガットの『スローターハウス5』を読んだときは、主人公に引きつけられました。

基本的に、主体性のない、意志の乏しい、気力や活力のない人物で、本を読んでいるあいだ、僕もそんな人間になっていました。

こちらは元々、僕の性格に近いためか、違和感は少なかったのですが、牛河時代の粘りはどこに行ったんだろうと思いました。

「辛抱強く」という素晴らしい美徳に感じられたマジックワードも、別の小説を読み始めて、世界の相貌が変わると、色褪せてしまうのでした。

 

次は何を読もうかなと思っているところなのですが、恩田陸の『蜜蜂と遠雷』が面白そうなのでそれにしようかと思っています。

青春小説らしいので、今度は気持ちが若返るのではないかな、と思っています。

 

 

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