「疾走する悲しみ」の存在論・・天才たちの世界に触れる
モーツァルトの曲を評して、「疾走する悲しみ」といわれることがあります。
ピアノソナタ第8番やピアノ協奏曲第20番とかは典型だと思います。
この二つの曲に共通するのは、モーツァルトには珍しく短調の曲だということがあります。
短調はもの悲しく聞こえます。
そしてグレン・グールドのピアノとかだと、すごいスピードで駆け抜けていきます。
時を経て、歳を重ねていくうちに、取り返しのつかないことばかりが増えていく、というようなことが『銀河英雄伝説』の2巻に書いてありましたが、中年になるとこれがとてもよく分かります。
あっという間です。
こうだったら、ああしていればという仮定法の山です。
音楽が時間芸術といわれるのは、過去を今に現前化してしまうからじゃないかと思います。
そういう意味では「疾走する悲しみ」というのは、時間と音楽の本質をついた表現なのかも知れません。
過去それ自体が存在するわけではありません。
もちろん、音楽の世界に楽譜があるように、過去の痕跡は存在します。
記憶や記録も、いわば痕跡です。
痕跡が、今、この一瞬に現れては、消えていきます。
音楽の音色が現れると同時に消えてしまうように。
哲学的には不在の現前といい、不可思議なパラドックスの一つといわれています。
ひょっとしたら「疾走する悲しみ」は、どこにもない世界を走り続ける私たちの生き写しなのかもしれません。
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