吉本隆明さんとの気分的切断について

村上春樹さんを好きになってたくさん読んでいると、村上さんがどういう人の影響を受けてきたかということも知りたくなります。

ドストエフスキーとかフィッツジェラルドとかチャンドラーが有名です。

 

一方でいま現役の知識人や影響力を持つ人の多くに多大な影響を与えたといわれる吉本隆明さんの本を読んでいると、どこかとっつきにくい印象を受けることがあります。

というかむしろ積極的に避けようとしていたんじゃないかと思うぐらい、手が出なかったです。

どうしてそんなことになったのか。

 

吉本さんは戦後最大の思想家といわれるぐらい、守備範囲が広いのですが、一例としてマルクス主義についてあげてみようかと思います。

正直ぼくはマルクス主義のことは知らないです。

全然。

で、いま吉本さんの本(『言語にとって美とはなにか』)を読んでいると、マルクスエンゲルスから、そんなに有名じゃない人まで、ガンガン出てきます。

当然、ぼくからすると読みにくい印象を受けてしまいます。

 

これはどっちかというと、ぼくのお父さんやその周りの人たちが、見たり聞いたり読んだりしてきたことについて、実はほとんど何も知らないのと同じことなんじゃないか。

 

マルクスといえば、ソビエト連邦を思い出すんですが、ぼくの青年期に無くなってしまいました。

大学に行っても、マルクス系はやめておけという雰囲気だったと思います。

 

でも、いまの日本があるのは、かつてあったことの積み上げだと思うのです。

なかったことにしない方がいいんじゃないか。

だから、いまぼくはまだ吉本隆明さんとは、気分的に切断状態なわけですが、60年代、70年代、80年代という時代のことも含め、もっと勉強した方がいいだろうと思っています。

そうすれば、いまという時代と、もっと親しくなれるだろうとも思うからです。

 

(追記:2018年11月8日)

「ほぼ日」の糸井重里さんのおかげで、多少は吉本隆明さんをかじっています。ただ、主著はいまだに手付かずの状態です。

 

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