間違いというバッファ
最近、僕は些細なことで落ち込むようになりました。
Feedlyが更新を読み取らないとか、Facebookの友だち申請で承認をもらえないとか。(後者はダメージ大きいか・・・)
そういう地味なダメージ積み重なって、結局、MacBookProのメンテナンスに走ったりします。
きれいにクリーンアップして、修復するところは修復し、ゴミ箱を空にして、再起動。
買ったばかりの頃は、MacBookProの起動はとても速くて感動したものですが、最近は、どうにも遅い・・・。
不安定な状態を放置するのは精神衛生上よろしくないので、私たちは構築された安定したシステムを見直すわけだから、不安定だったり、壊れやすいものだって、なんらかの意味を持っているはずなのです。
そういうものがなければ、システムはある日突然、危機的なクラッシュを招くかもしれません。
人間の日々溜まっていく小さな悩みにもそういう役割があって、致命的な危機を回避するためのバッファ(緩衝器)みたいなものではないかと思います。
もっというと、間違うことすらできなかったら、考えることができなくなるはずなのです。
間違いは間違いだから、現実問題としては、目に見える利益はおそらくありません。
正しい行動をとった方が、生産性は高まると思います。
しかし、小さな間違いはおそらく正しさとは違った役割を担っているはずなのです。
個体としてではなく、種の保存のための生存戦略みたいなものでしょうか。
たとえですが。