その苦労には何の意味もないかもしれないけれど
かつて、プロ野球の松坂大輔投手のルーキー時代の名言に、僕は夢ではなくて、目標を追うというものがありました。
言い回しは少し違うかもしれませんが。
その理由は、夢は覚めるもので、ほとんど叶わないからだと思います。
いまから思うと、言葉の使用がいささか厳密にすぎたという感じが否めません。
松坂投手のような、精密機械というよりは、怪物的な荒々しい投球をする投手に似つかわしくなかったというか。
でも、言語感覚は繊細な人なのかもしれません。
こんな自己実現の世の中で、夢なんかみていたら笑われてしまいますからね。
15年ほど経ち、いまや時代はネット社会に突入して、誰もが観客ではなく、プレイヤーとして巻き込まれているかのようです。
そこははたから想像していたようなポジションではなかったかもしれません。
自分で直接いつでも発信できる反面、頼むから寝かせてくれといいたくなるぐらい、厳しい反応が返ってくる世界でもあったからです。
そういうわけで、また夢を見たくなったりしますね。
昔から、働かざる者食うべからず、といいますが、楽をしたらろくなことがないなあとふと我に返ったりします。
あるいは、ピケティよろしく、資本家に牛耳られているなどと、憤慨したりしてね。
僕みたいな世間知らずでも、生きてるだけで、苦労をしたり、苦労をかけたり…。
そして、その「苦労」には何の意味もないかもしれません。
しかし、もしそうだとしても、逆説的に、「夢」とか「理想」が意味を持ってくるはずなのです。
現実的な力は今はないかもしれないけど、まったく報われないとも限らない。
あんまり目先の自分に引きずられないようにして、夢や理想を描いていきたいなぁ、と思うのでした。