日本の現代国語教育の問題点と対策
僕はもう20年以上前に高校を卒業した人間ですが、その当時、現代国語というのがどうにも解せない科目でした。
今はどうか知りませんが、評論文や小説の断片や短篇を読まされるんですよね。
高校生ぐらいになれば、辞書さえあれば日本語で書かれた文章なら、たいていは読めるはずだと思います。
実際、僕は自分で本を買ってきて読んだりしていました。
ところが、教育の場では、1冊の教科書を時間をかけて読むんですよね。
多感な時期にはたして1年もかけてやることでしょうか。
そのせいだとはいいませんが、多読のスキルや習慣を身につけるのは、自己流になります。
ちなみに大学でも速読や多読のスキルは習いません。
学校を卒業してからも本はたくさん読んだ方がいいと思うのですが、日本では本の読み方が秘法めいた奥義化している感があります。
読書家の読書論や読書の方法論は、結構読んできたつもりですし、大学の先生に質問したこともありました。
「さくさく読めばいいんですよ」といわれて、やっぱり大学教授は違うなぁと思ったりしました。
それができないから訊いたんですけど、結構こういう方法じゃなくてゴールの状態ではないかと思われる答えとか、数をこなす、慣れといった精神論の一種が多いのです。
その他に、型を知ると読書も早くなるというのがあります。
型を知っていれば、次に何が来るかぼんやり予測できるからです。
ただ、普通の本は論文や新聞記事のように構成が決まっているわけではありませんから、どこが重要かわからなかったり、大事なところの見落としの不安がつきまといます。
逆にあまり型どおりだと、ピンポイントで目的地にたどり着いておしまいとか。
結局、型を知った方がいいけど、その型は教えられない・・・
これが秘法めく理由なんじゃないかと思います。
もちろん僕もこれという回答を持ち合わせていません。
少しだけヒントにしたのが、クラシック音楽の世界でした。
つい先日のことですが(笑)、ソナタとソナタ形式の違いを勉強しました。
ソナタとは第一楽章がソナタ形式になっている楽曲で、ソナタ形式とは提示部、展開部、再現部という構成になっています。
提示部には通常、第一主題と第二主題という対立する主題があり、展開部を経て、再現部で二つの主題が融和するというのが基本形なのだそうです。
交響曲や協奏曲もソナタのバリエーションということで、モーツァルトやベートーヴェンの古典派時代に、盛んに研究されたのだとか。
僕はこの対立するテーマというのが、最も基本的な型じゃないかと思うのです。
ドラマツルギーでいえば葛藤、ヘーゲルでいえば弁証法というように、古くから対立を基本形にする理論は存在します。
ソナタ形式を知って音楽の聴き方が少し意識的になったのですけど、なにとなにが対立しているのかという観点から読書すると、全体の見通しや連関がつきやすいし、早く読めるようにもなるのではないか、と。
とばし読みは、重要なところを見落とすのではないかと心配で得意ではないのですが、これなら多少は可能だといえないでしょうか。