読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

turboの日記

読むこと、聞くこと、書くこと、世界の探求

空っぽの入れ物と無関心 四元康祐『偽詩人の世にも奇妙な栄光』

文学

あらすじのつもりが、思いの外、大部の抜き書きになってしまいました。

そのつもりでお読みください。

 

タイトルからして、どこか既視感がある。

吉本昭洋は、中学2年の時に中原中也の詩集と出会い、詩にとりつかれる。

 

トタンがセンベイ食べて 

春の日の夕暮は穏やかです 

アンダースローされた灰が蒼ざめて 

春の日の夕暮は静かです

(中略)

瓦が一枚

はぐれました

これから春の日の夕暮は

無言ながら

前進します

自らの

静脈管の中へです

 

引用は中原中也の「春の日の夕暮」という詩だ。

昭洋は、はぐれた瓦のように、詩を内在化させつつ、正体は謎として無意識に留まることを余儀なくされる。

宿命的な出会いである。

 

昭洋の母親を一言で表せば「饒舌」だった。

中身も要点もないしゃべくりが生きがいだった。

「束の間〈今ここ〉の呪縛を逃れて、言葉の不死に魂を遊ばせることができる」のは、それが中身のない空疎なおしゃべりだから。

 

母親から「中也狂い」と呼ばれた昭洋は、古今東西の詩集を読み漁る。

「空っぽ」の自分を埋め合わせるものが、昭洋にとっては詩だったのだ。

だが昭洋は詩を書くことができない。

母から注ぎ込まれたお喋りが、昭洋を詩に駆り立てつつ、永遠に詩を不可能たらしめる。

なぜなら母のお喋りには言葉の豊穣さはあるが、理路や物語がなかったからだ。

「おそらく、水平な言葉が詩として立ち上がるためには、なんらかの垂直な力が必要だったのだ。

そうでなければ立体的な構造性を持ち得ない。

そのような垂直性が、具体的に何でありどうすれば自分のものに出来るのか、昭洋には最後まで分からなかった。」(p.18)

 

昭洋が詩人の特質として重要だと考えていたのは、「空っぽ」と「無関心」だった。

「空っぽ」が現実世界のエキスをそそぐ器だとしたら、「無関心」はすべてを受け入れるために必要な、すべてに対して等しい「距離」だった。

 

中也と同じ東京外国語大学で語学の習得に才能をみせた昭洋は、ランボーのように卒業して中堅の総合商社に就職する。

その前の卒業の年、二つの重要な出来事が起こる。

昭洋は本物の詩人と出会うのだ。

サークルのトークイベントに招かれた大町蜥蜴という詩人の言葉に、昭洋は衝撃を受ける。

「詩とか文学以外のものだったらなんでもいいんじゃないですか。

なるべく離れたものの方がインパクトは強いですよね。

つまり僕らの詩って、心とか個人とかじゃなくて、現代という時代そのものを相手に格闘しているわけです。

その魑魅魍魎たるリアリティを生け捕りにしようとするなら、最先端の分子生物学とか、国際金融論とか、エネルギー問題とか人口爆発を取り扱う社会経済学とかを貪欲に取り込んで、それらを表現の網として駆使していかなきゃならない。

だからこんなところで詩人の話なんか聞いてちゃ駄目なんですよ。」(p.37、38)

 

もうひとつが、母親の死である。

昭洋が大学病院に駆けつけると、生まれたときから一生しゃべくり散らしてきた母の最後の一言は、「こんな筈じゃなかった」。

次の瞬間、母親の目の底からなにかがぬっと迫り出す。

昭洋はその正体を見抜かねばならないと分かっていた。

母親は目を見開いたまま、顔にはかすかに驚いたような、それでいて妙に納得したような表情を浮かべて、死んだ。

目の底から迫り出してくるもの、しゃべくりの背後に隠れていたものの正体を、死の刹那、母親も垣間見たのだった。

昭洋はなお生きながらえて、その証言者としての務めを果たす。

 

就職後、順調にキャリアを積んでいたが、転機が訪れる。

海外勤務をしていた昭洋は、ニカラグアの古都グラナダで開催されていた詩祭に遭遇する。

世界中から集まった無名の詩人が朗読をしたり、にぎやかなパレードが催されたりして、街ぐるみで詩を楽しむフェスだ。

ここで詩に再会した昭洋は、各地の詩祭を巡り、詩人たちと交流し、詩書を買い集める。

さらに日本の本社勤務に戻った昭洋は、あるとき、ルーマニアの詩人の詩書を手に取り、「TV Woman」という詩を読んで、頭の中で自然に日本語に直していた。

昭洋はその翻訳(行為)が詩であると直感した。

自分には詩は書けないと思っていた昭洋は、外国語の詩を翻訳するたびに新しい詩が生まれることを喜び、各地の詩祭で買い集めた詩集をつぎつぎ翻訳する。

「他人に成りすましてメイクを施し、また源泉を掛け合わせて出自を攪乱すればするほど、彼は自分から自由になり、遠ざかり、無私の境地に遊ぶことが出来た」のだ。

「空っぽ」が大いに役立ち、「無関心」が花を添えた。

相変わらず自分では詩を書くことができないが、他人のふんどしで相撲を取ることはできた。

仕事として公にするつもりは毛頭なく、そういう遊びのはずだった。

 

あるとき詩の勝ち抜き戦(ポエトリー・スラム)のイベントにでることになった昭洋は、「夫婦喧嘩」というお題に、初めて翻訳した「TVウーマン」を披露し、圧勝する。

あろうことかポエトリー・スラムで連戦連勝するうちに、雑誌との連動型企画で、あの大町蜥蜴と対決することになる。

詩人や学者を審査員に迎えて判定は、僅差で昭洋の勝利。

ここに希代の偽詩人が誕生する。

以後、詩集、詩論など、昭洋の仕事は世俗的な成功をおさめる。

 

しかし、偽詩人の名の通り、もともと他人の詩集を無断で翻訳して公表していたわけである。

事のなり行き上、しかるべき罰を受けねばならない。

まず週刊誌が昭洋の盗作疑惑の口火を切る。

大学の先生、学生、在野の文学愛好家がこの競争に参戦する。

やがて詩をめぐる、およそ考え得るすべての要素が、膨大な数の人間によって、ただの興味本位か好奇心で、詳細に検証された。

それは皮肉にも普段詩を読まない世間の大半の人に、「詩を意味や字面ではなく、複雑な細部から構成された一個の有機物として捉え、その味わいを吟味するという行為」を経験させることになった。

「そこにはなにか素晴らしいものの気配があった。

普段は日常の秩序や合理性によって抑圧されている、生命の爆発的な歓びが息づいていた。」(p.126)

「口々に自分だけの歌を歌っているつもりで、人類はいつの間にかただ一つの「人間の歌声」を、宇宙の虚無と沈黙のなかに響かせているのだと。」(p.126)

これこそが、昭洋が追い求めた詩だった。

昭洋は自らを生け贄として差し出すことで、大勢の人にその果実を味わわせた。

そしてそのかわりに昭洋は、詩の園から追放されてしまった。

素っ裸で、ひとり孤独に。

 

大町蜥蜴は「偽詩人のための弁論陳述」と題する寄稿で、昭洋を擁護する。

「彼が偽詩人であるならば、我々もまた偽詩人なのであり、人間の意識の有り様そのものが、偽詩人なのである。」と。

しかし昭洋らしき男は、その原稿を読むことなく、詩そのものになる。

 

 

 

偽詩人の世にも奇妙な栄光

偽詩人の世にも奇妙な栄光