相似するものたち 雪かき仕事とテンペストとグレン・グールド

最近時々、家で皿洗いをするようになった。

同居する母親がほとんど家事をしてきたのだけど、徐々に役割分担をしていこうという空気になってきたからだ。

皿洗いをしていると、やるべきことが目の前に積まれているのに気づく。

面倒だなぁと心を曇らせながら手を動かしていると、次第に片付いていき、終わった頃には食器も気持ちもまっさらになっている。

 

掃除やアイロンがけを「雪かき仕事」とよんで、その大切さを説いたのは内田樹である。

村上春樹の小説に出てくる人物が、イライラしたり調子が悪いとき、決まって掃除やアイロンがけをすることを指摘したのである。

そういわれても、しないものはしないし、周りに世話をしてくれる人がいたらつい甘えてしまうものだけど。

 

内田樹がそのような事情に言及しているのが、『村上春樹にご用心』のなかの「お掃除するキャッチャー」と題するエッセイである。

人間的世界がカオスの淵に呑み込まれないように、崖っぷちに立って毎日数センチずつじりじりと押し戻す仕事。

家事には「そういう感じ」がする。とくに達成感があるわけでもないし、賃金も払われないし、社会的敬意も向けられない。

けれども、誰かが黙ってこの「雪かき仕事」をしていないと、人間的秩序は崩壊してしまう。(p.28)

台所の流しが食器であふれそうになったら、確かに「崖っぷち」である。

そしてそのようなことは家事に限ったことではない。

 

グレン・グールドといえば、バッハの「ゴルトベルグ変奏曲」でレコードデビューし、全米のチャート1位を獲得している。

当時、バッハはピアノ演奏の主流からは避けられていて、グールドとともにバッハは蘇ったともいわれる。

グールドの演奏といえば、素人の自分が聴いてもわかるぐらい、テンポが速いものが多い。

1955年に録音された「ゴルトベルグ変奏曲」もそうだ。

グールドの死の前年、1981年に再録音された「ゴルトベルグ変奏曲」と比較しても、最初の録音は速い。

グールドを知るきっかけとなった、モーツァルトのピアノ・ソナタ第8番第1楽章を聴いたときも、それまでの自分のなかのクラシック音楽の優雅なイメージとかけ離れた、どこか狂気を抱えているようにも思われる演奏にショックを受けたものだ。

カオスの淵を覗いてしまったのかもしれない。

 

「お掃除するキャッチャー」はこう続く。

「感謝もされず、対価も支払われない。

でも、そういう「センチネル(歩哨)」の仕事は誰かが担わなくてはならない。(p.29)

「そういう人が必ずいたので、人間世界の秩序はこれまでも保たれてきたし、これからもそういう人は必ずいるだろうから、人間世界の秩序は引き続き保たれるはずである。(p.30)

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」の第3楽章のメロディーを時々ふと思い出すことがある。

好きなフレーズだし、繰り返しが多いので、覚えやすい終楽章だと思う。

感謝もされず、対価も支払われないということはないが、今日も世界の秩序は概ね美しく守られているのかもしれない。

 

pianodouga.blog76.fc2.com

 

ピアノ・ソナタ第17番について、ベートーヴェンは弟子に曲の解釈を訊ねられて、シェイクスピアの「テンペスト」を読めと言ったそうだ。

テンペスト」は1612年ごろが初演のロマンス劇である。

とはいえ、あらすじを読んでみると、貴族の兄弟の大がかりな兄弟げんかの話でもあったりする。

弟のアントーニオに追放されて孤島に流されたプロスペローは、島で学問と魔法(歌)を研究する。

プロスペローは魔法によって嵐(テンペスト)を起こし、アントーニオの乗った船を難破させて復讐する。

アントーニオはプロスペローの殺害をもくろむが、プロスペローの魔法でアントーニオらの一行は錯乱状態に陥る。

プロスペローは、復讐を思いとどまり、過去の罪を悔い改めさせ、赦すことを決意し、魔法を捨て、最後は観客に問いかける。

拍手で戒めを解き、自分を自由にしてくれと。

 

プロスペローは、言ってみれば「センチネル(歩哨)」なのではないだろうか。

無秩序の最前線で耐え、世界の秩序は維持される。

誰に感謝されることもない。

だから、お門違いにも観客に拍手を求めた。

 

さて、グールドによるベートーヴェンのピアノ・ソナタ第17番、最終楽章にもう一度戻る。

個人的な感想になるが、僕は単純な反復が多い曲が昔から好きだった。

テクノとかがそうだが、頭の中が掃除されているような感じがするからだ。

無機的で無感情なミニマルテクノよりは、「テンペスト」はエモーショナルであるが、おそらくグールドの演奏の重要な部分は、抑制された感情にあるのだと思う。

動画を見ると、本人はびっくりするぐらいの陶酔しているが、手を見ると、指が長くて正確に鍵盤を叩いているからだ。

聴くものはその演奏に感動し、一日を振り返りながら今日はいい日だったと思う。

たぶん、それでいいのだ。


ちなみに、グールドがモーツァルトに開眼したとき、そばで掃除機がガーガー鳴っていたとか。

 

村上春樹にご用心

村上春樹にご用心

 

 

Glenn Gould Plays Beethoven: Piano Sonat

Glenn Gould Plays Beethoven: Piano Sonat

 

 

おまけ

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