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たー坊の日記

読むこと、聞くこと、書くこと、世界の探求

引用のドヴォルザーク 交響曲第9番

個人的にドヴォルザーク交響曲第9番は、よく引用の対象になっていると思う。

この曲を聴いていると、ちぐはぐな印象を受けるのだけど、それは様々なところで引用されたものを聴いて、僕自身の記憶が粗いモザイク状態になるからだと思う。
ベートーヴェンの「合唱」を聴くと、反射的にカルビーポテトチップスを思い出すみたいなことだ。
 
僕たちはおそらく曲そのものに耽溺できるほど、純粋培養でも温室育ちでもない。
ゲームミュージックからCMソングまで、驚くほど多種多様な音楽を聴いて育っている。
なにかを聴くと別のなにかを連想するという事態は、日常茶飯事である。
ヴァルター・ベンヤミンのいう「都市のモザイク」は、極東の島国でも進行していたのだ。
 
ドヴォルザーク交響曲第9番は「新世界から」という副題を持っている。
第1楽章は、港のざわめきから船の汽笛が鳴っているかのような序章から始まる。
おそらくヨーロッパからアメリカ大陸に旅立つ船がモチーフにあるはずだ。
しかしそのような壮大な物語を切り裂くかのように、後の音楽家は引用する。
カルビーポテトチップスのように。
だが日本でドヴォルザークの音楽が耳にされるのは、そちらの方がメインなのだ。
あまりにも有名な第2楽章のメロディーは、僕たちが学校で行った林間学校のキャンプファイヤーで歌われていた。
「遠き山に日は落ちて」を聴いたことはないだろうか。
明治政府が日本の西洋化を目指したときに、ドヴォルザークはなんだか童謡みたいなものに変換されていたのだ。
歌詞は賛美歌を訳したものらしい。
 
しかし、それは日本だけの現象ではない。
第4楽章の冒頭は、映画『JAWS』で目に見えないサメが追いかけてくる時の効果音として引用されている。
もっといえば、ドヴォルザーク自身が引用している。
第3楽章は、ベートーヴェンの第9「合唱」の寸止めみたいな主題である。
ベートーヴェンの第9の第4楽章は、コーラスによって歓喜の歌となるが、ドヴォルザークの第3楽章はそこを寸前で止めている。
面白いことに、スピルバーグの映画の難破船がサメに襲われる時の効果音は第3楽章の次の第4楽章の冒頭だった。
 
僕たちの理解は一直線に進むものではない。
ちまちまとったりとられたりしながら、螺旋状に進んでいくものである。
まだらなドヴォルザークを聴いて、そんなことを思った。