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たー坊の日記

読むこと、聞くこと、書くこと、世界の探求

ユーモア音楽のロッシーニ 「泥棒かささぎ 序曲」

クラシック音楽にはどこか厳めしさが付きまといます。

しかしそれを振り払うかのような逸話や楽曲も存在します。
学校のベートーヴェン肖像画が厳めしいのは、昼飯がまずかったからだとか。
真偽は定かではありませんが、一定の説得力を持ちます。
なぜなら大作曲家の中には、どちらかと言えば享楽主義的で性格破綻気味の人が少なくないからです。
バッハは糖尿病を患う大の美食家だったとか、ベートーヴェンはアルコール依存性だったとか、ちょっと驚くようなエピソードは枚挙に暇がありません。
 
ロッシーニの「泥棒かささぎ 序曲」は、村上春樹さんの『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭に出てきます。
クラウディオ・アバド指揮のこの曲がラジオから流れて、主人公の岡田亨がパスタを茹でながら口笛を吹いていると、知らない女から電話がかかってくるところからこの長編小説は始まります。
ちなみに、ロッシーニは作曲家から高級レストランの経営者に転身したりしています。
村上春樹さんの逆パターンですね。
で、このロッシーニの「泥棒かささぎ 序曲」は、実にコミカルな音楽なんです。
 
冒頭のドラムロールは「泥棒かささぎ」というオペラで、女の主人公が死刑台にのぼるところを暗示しているといわれます。
もっともタイトルから想像できるように、真犯人はかささぎで主人公は事なきをえます。
銀のスプーンをかささぎがくわえていったために起こった悲劇らしいです。
そんな話のせいか、曲調は全体的にどことなくコミカルです。
 

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クラシック音楽の場合、ウィキペディアでも見ない限り、曲の背景などが掴みにくくて、同時代性を持ちにくいのが難点です。
19世紀が全盛期だったとも言われています。
でも僕は人々の基本的な営みがそれほど時代ごとに変わるとは思いません。
19世紀だってユーモアは必要だったに違いないのです。
実際、この「泥棒かささぎ 序曲」なんてのは、権威をからかいながら、それでいて悲壮感に陥らない上質なコミックソングたりえていると思うのです。
誰が聴いても楽しい曲だと思うので、ぜひ聴いてみてください。
 
 


マルケヴィチ、ロッシーニ「泥棒かささぎ」序曲

 

 

ロッシーニ:序曲集

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