人にやさしく4・・三日目の夕日
両親は遠路鳥取から来たということで、担当医から病室に泊まることを許可されます。
本来は認められていないとのことで、これは先取りしていうと、本当にラッキーなことでした。
一方で、入院した日の翌日から土、日の休みに入ってしまうというアンラッキーもついてくるのですが。
緊急外来から病室まで運んでもらって、「せーの」でゴロンと広いベッドに移してもらいました。
たしか右手と両足はすでにほとんど動かなくなっていたと思います。
一回低カリウム血症を経験しているのですが、手まで縮こまって動かなくなるのは少し異常な感じがしました。
しばらく点滴をしてもらわないと、寝返りもうてない状態が続くことが予想されました。
寝返りが打てないと、人は結構すぐに床ずれを起こしたりします。
これがかなりきつくて痛い。
だから看護師さんにカリウムの点滴を打ってもらいたくて仕方がないんです。
でもカリウムは心臓に負担がかかるため、一日の限度量とかが定めてあります。
なのでそんなに無理はできない。
どうも重症らしいと思い始めたぼくは、ホントは嫌なんだけど、下まわりのことを看護師さんにお願いします。
オムツをしてもらったり、尿道に管を入れて袋を下げてもらったり。
尿道に管を入れてもらうと、安心して水やお茶を飲むことができます。
ただやはり大きい方はどうしても抵抗感が残ります。
出雲市民病院には管理栄養士さんがついていて、食べ残しとかまでチェックして、栄養の摂取をサポートしておられるそうです。
そんなこととはつゆ知らず、病院食を残して、早くオムツを外して歩いてトイレに行けないものかなどと呑気に考えたりするのです。
夜になると、左手でなんとかいじろうとしていたスマホすら重く感じられて、諦めてしまいます。
左手を真上に突き上げてまだ動くことを確認したりもしましたが、やがて左手もあがらなくなり、四肢麻痺状態になってしまいました。
昼間のうちから隣の病室から、おじいさんの大きな呻き声が聞こえていたのですが、今や世界は地獄の様相を呈していました。
体を動かしたくて力を入れるのですが、まるで動きません。
お母ちゃんが付き添ってくれていたので、わがままを言って、足を動かしてもらったり、手を伸ばしてもらったりします。
忙しい看護師さんをいちいちナースコールで呼ぶわけにはいかない。
最初に言ったとおり、その点はラッキーでした。
ほとんど夜通しで、お母ちゃんに体を動かしてもらいます。
アンラッキーなのは、土、日になると、病院の体制がやや手薄になることです。
看護師さんが休暇中の担当医にパソコンを使ってメールかなにかで逐一状態を伝えているようでしたが、例えば血液検査とかがないのです。
入院翌日も、なんとか体を動かそうとするのですが、まるで言うことを聞きません。
ぼんやり点滴を見上げながら、お母ちゃんに体を動かしてもらいます。
膝を立ててもらったりするのですが、ぼくの足は力なくパタンと倒れてしまいます。
入院三日目になっても、状況は変わりませんでした。
隣のおじいさんは相変わらず断末魔のような呻き声を上げ、ぼくは懸命に体を動かそうとして、お母ちゃんには体の位置を変えてもらう。
夕方になるころ、看護師さんが点滴のチェックに来ました。
そして、あろうことか交換ではなく空になった点滴を外し始めます。
どういうことか聞いてみると、「今日はこれでおしまいですけんね」とのこと。
ぼくとお母ちゃんはことばが出ず、ぼんやり窓から差し始めていた夕日を見つめます。
たぶん同じようなことを考えていたと思います。
このまま寝たきりになってしまうのか、と。