テクノロジーについて

11月10日(土)断酒17日目

ついつい夜更かししてしまって、朝から眠い。それでも天気はよかったし、2日散歩を休んでしまったので、母校のある久松山方面に向かってカメラを持って出かける。ちなみに母校は昔とだいぶ変わってしまった。

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ぼくは、最近、CANONのEOS-KissX7を肩からぶらさげて街中をウロウロするようにしている。一眼レフの人気エントリー機である。KissX7にパンケーキとよばれる単焦点レンズをつけて、もともと小さいKissX7を小型化、軽量化している。

こうしてカメラを持って歩いていると、あ、と思った瞬間、カメラを構えて写真を撮ることができる。ポケットにつっこんだiPhoneではこうはいかない。なんとなくだけど、観察力と反射神経と決断力が鍛えられている気がする。

あ、と思っても、人の目など諸事情から素通りすることもあるけど、最近はなるべく写真を撮るようにしている。ただ、人物を撮るのは難しいし、家とか庭のようなものを被写体にするのも、どこかためらってしまう。世間には目に見えないバリアーが張り巡らされているのだ。

 

深夜、久しぶりに映画を観た。NHKEテレで放送していた「Ryuichi Sakamoto:CODA」だ。ドキュメンタリー映画で、坂本龍一さんの過去のインタビューの映像も使われていた。その中で、若き坂本さんは「テクノロジーを音楽に取り入れたい」と語っていた。「楽器を10年かけて修練する必要もなくなる」みたいなこともこぼしていた。

坂本龍一さんといえばイエローマジックオーケストラYMO)だけど、坂本さんはもともとクラシックの人だし、細野晴臣さんと高橋幸宏さんはロックバンドからキャリアをスタートした人たちだ。そこから「テクノロジーを音楽に取り入れる」という発想から、YMO伝説は始まったのだと思った。

 

実は、たまたまぼくも今日の散歩中、自分ももっとサイエンスやテクノロジーを勉強したほうがいいとぼんやり考えていたところだった。数式を見るとアレルギー反応を起こす元理系なのだけど、いまを生きるのに、サイエンスとテクノロジーと無関係でいることはできない。カメラだってテクノロジーだ。全然中身を知らないで生きるより、新書やテレビで基礎知識ぐらいは身につけたほうがいいのではないかと思った。さらに、ぼくは無邪気にサイエンスとテクノロジーには未来があるとも思った。

 

映画の話に戻る。80年代に「テクノロジーを音楽に取り入れたい」と語っていた坂本さんは、90年代になると、環境問題が気になり始めたそうだ。「炭鉱のカナリア」みたいなものだと言っていた。そして、東日本大震災における福島の原発事故。テクノロジーで「世界のSakamoto」となった人が、テクノロジーに疑問をもつ。しかし、坂本さんは「いったん出来てしまったことって、なかなか元には戻せないんですよね」とも語る。そして坂本さんは、自然の森の中に音を探しに行ったりする。

他にも、坂本さんのガンのこと、9.11テロや原爆のこと、人類の出発地であるアフリカのリズムや氷が溶け始めている北極の純粋な音など。映画は、音楽とテクノロジーを通して、坂本龍一という一人の人間と世界の多面性を描く。

そして坂本さんがバッハの平均律クラヴィーア曲集の1曲目の前奏曲を演奏しているところで映画は終わる。平均律とは、鍵盤楽器があらゆる調で演奏可能となるよう「よく調整された(well-tempered)」という意味だそうだ。ちなみに映画のタイトルの「CODA」とは、ソナタ形式終結部のことである。

 

また夜更かししてしまったけど面白かったのでよしとしよう。そして、今日も断酒継続中。

 

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