「十分間、時間を欲しいの」 村上春樹が仕掛けた愉快な罠

十分間、時間を欲しいの。

失礼ですが、どちらにおかけですか?

あなたにかけているのよ。十分だけでいいから時間を欲しいの。そうすればお互いよくわかりあうことができるわ。
  
村上春樹ねじまき鳥クロニクル』(新潮文庫)の冒頭のセリフを抜き出してみました。
謎めいたやり取りが印象的なシーンで、よくわからないうちに終わってしまうのですが、今回はこのシーンの意図を推測してみようと思います。
どちらかというと実際的な意味になります。
 
「十分間」の意味するところは何なのでしょうか。
いろいろあると思いますが、冒頭のシーンであることを考えれば、読者の注意を引きつけて集中してもらうところのはずです。
読者の立場からいえば、最初はなかなか集中できないものだけど、一旦集中してしまえばその後は比較的楽に集中して読み続けられるという側面があるかと思います。
だとしたら、まず十分間、この本を集中して読んでもらえまいかということを、ミステリアスないたずら電話風にして、ユーモラスに表現したメタメッセージだと言えないでしょうか。
「十分間、時間を欲しいの」と。
 
脳科学には「やり始めなければ、やる気はでない」という作業興奮の説明があります。
十分間あれば、読書に集中してくる頃です。
ねじまき鳥クロニクル』が執筆された1980年代には、脳科学作業興奮の説明はたぶんなかったと思いますが、村上春樹さんは自らの経験則から作業興奮を知っていたと思います。
 
また、この仮説が正しいとすると、村上春樹さんは自分の小説がどれくらいのスピードで読まれると計算しているかも推測することができます。
冒頭から一行のスペースがとられるまでの一区切り、平成9年版の文庫本で、およそ8ページなのですが、これがほぼぴったりぼくが十分間で読める量なのです。
およそ1ページにつき1分強という計算になります。
 
つまり作品の中で流れる時間と現実の読者の時間がリンクしているんですね。
もう、「どんだけ〜」と唸ってひれ伏してしまうしかありませんね。
  
ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

 

 

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