カッコいい

11月21日(水)断酒28日目

午後から結構頑張れた。本を読んだり、ネットを見たり、また本を読んだり、音楽を聴いたり、テレビを見たり。一日中、家に閉じこもっていた。雨が降ったり、寒くなったり、眠かったりで、生活のリズムは乱れたけれど、一日をトータルで見ると、それなりに勉強になった。

 

振り返ってみれば、今日も音楽が生活の中心にあった。自分で演奏したりは出来ないし、ただの1リスナー(しかもにわか)なのだけど、例えば矢野顕子さんの鼎談とかインタビューを読んでいると、自然と背筋が伸びている。基本的に自分はだらしない人間だと思っていて、猫背気味だし、元大酒飲みだし、稼ぎもないのだけど、時々はっとしてシャキッとしなきゃと思わせてくれる人たちのことが好きだ。少し怖いのだけど・・・(畏怖というか)

 

何がすごいのだろう。

例えば、今日のハイライトは、深夜に椎名林檎さんと宮本浩次さんの新曲「獣ゆく細道」を聴いて「カッコいい」と思って、二人のことをネットでちょこちょこっと調べたことから始まる。椎名林檎さんのウィキペディアを読んでみてほしい。スーパーファンキーカリフラジセクシーである。ッオウ!最高にカッコいい履歴書である。ッフゥーーー。

比べてしまって自分にがっかりしたぼくは、

「自分の力だけではどうもならんで。だけど、お荷物になったらあかんで。」

と、ほぼ日手帳にふだん心の中だけでつぶやく関西弁で赤字でメモをして、静かに眠りについた。

 

椎名林檎さんは「カッコいい」。これはどう考えても間違いなかろう。

一方で、ぼくは高野文子さんの『るきさん』のような世界を見ても、同じような感慨にふけることができる。るきさんは、経理の内職をしながら、図書館の本を借りて読んだりする女性だ。88年から92年まで雑誌『Hanako』で連載されたそうなので、バブル経済の最盛期から末期のころだろう。その頃の女性にしてはつましい生活だ。だけど、るきさんも「カッコいい」と思う。

 

「カッコいい」というのは、共時的なものである。ある程度、同時代に共有される。一時的な流行だって「カッコいい」。通時的な「カッコいい」になると普遍的な価値になるだろう。

 

宮沢章夫さんは『東京大学「80年代地下文化論」講義』の中で、「かっこいい」という言葉をキーワードにして、80年代の文化について論じている。昔からあった言葉ではないのだ。ためしに精選日本国語大辞典で「かっこいい」を引いてみると、用例は1963年の小説から1個採用されているだけで、しかもあまりいい意味で使われていない。

 

いま「カッコいい」は、「かっけー」など様々な派生形も含めて、ごく普通に使われていると思うが、考え出すとなかなか奥が深いのである。

 

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