たー坊の日記

読むこと、聞くこと、書くこと、世界の探求

ひとりめし

しばらく気が進まなくて、外食に行きませんでした。

マックとかモスでテイクアウトをすることはあったのですが、お店の中で食事をすると、人目や声をとても気にするようになったからです。

でも、最近少しずつ調子がよくなってきたし、お腹がとてもすいていたので、久しぶりにひとりでお店に入ってみることにしました。

うどんと書かれた看板を見ていたら、無性に食べたくなったのです。

セルフのお店でしたが、肉うどんを注文しました。

かなりキョドりながら、刻みネギをつかみそこねたり、水をこぼしたりして、ようやく席に着きました。

目を泳がせながらうどんをすすっていたのですが、目の前に貼ってあるホンダNシリーズという軽自動車のチラシに集中するようにしました。

食べ物に限らず音楽とかでもあることだと思うのですが、肉うどんを食べていると、東京駅の地下のうどん屋でひとりで食べていた時の映像がフラッシュバックみたいに蘇りました。

いつも家で食べてるだけじゃなくて、たまに外食をすると、自分の中のなにかが活性化したような気がしました。

自分を実験台にするつもりで、たまには殻を破ってみるのもいいことだと思います。

 

 

失われた時間を求めて

竹内まりやさんの「駅」は、酒を飲みながら繰り返し聴いていると、人目もはばからずに号泣してしまう恐ろしい曲です。

なんでそんなことになってしまうかなぁと折にふれて考えてきました。

歌詞をつらつら追いかけてみるに、よくできたストーリーだとは思いますが、僕自身にはあんまり縁のない世界でした。

全然といってもいい。

それはそれで切ないわけですが、そもそも「駅」は失われてしまった何かをライトモチーフにしています。

失われてしまった何かというのは、たぶん時間です。

だから普遍的で、いろんな人の心に響くのだろうと思います。

糸井重里さんはラジオで、歌詞にある「2年の時が」という半端な時間が、完全に忘れた訳でもなく、いわば生煮えの感情みたいになっているとおっしゃっておられました。

ちなみに「駅」のモデルは、東急東横線の渋谷駅だそうで、僕にとってはいろんな意味で懐かしい場所です。

それと矛盾するようですが、サビに「懐かしさの一歩手前で こみあげる苦い思い出に ことばがとても見つからないわ」とあります。

一つの仮説として、繰り返し聴いて自分の心の地層を掘っていくうちに「懐かしさの一歩手前に」戻るのではないかと思います。

そしてストーリーになっている歌詞をばらばらにして、文脈を差し替え、「懐かしさの一歩手前」とか「こみあげる苦い思い出」とかのことば自体に帰っているのです。

誰しも苦い思い出の一つや二つはあります。

そのようにして曲と自分が最高潮に盛り上がったとき、「思わず涙あふれてきそう」という詩に誘われて、こちらも涙するのです。

まるで竹内まりやさんに「ここで泣きなさいよ」とスイッチを入れられたロボットみたいに。

 

 

Expressions (通常盤)

Expressions (通常盤)