ノマド・ドゥルーズ・アナグラム
本棚の整理をしていたら、ノマドロジーということばが目に留まりました。
篠原資明『ドゥルーズ』のサブタイトルですが、これってあのノマドワークと関係あるのかなぁと思いました。
常見陽平『自由な働き方をつくる』によると、ノマドとはもともと遊牧民という意味だとあります。
『ドゥルーズ』を読んでみると、たしかにそうでした。
が、哲学者のドゥルーズの難解な学術用語です。
ただ羊を飼って移動している人という意味ではありませんでした。
もちろん僕がノマドロジーを十分に説明できるわけがありませんが、ノマドロジー(nomadologie)はモナドロジー(monadologie)のアナグラムになっています。
モナドロジーが単子という実体の理論だとすれば、ドゥルーズのノマドロジーというのは、例えば否定詞(〜ではない)のようなそれ自体では存在しない、関係についての理論なのではないかと思います。
アナグラムは、とくに理由も根拠もなく、文字を入れ替えることです。
『ドゥルーズ』でも、内部思考と外部思考とか、あれこれ術語を言い換えています。
ある意味言い換えているだけで、こんなのぜんぜん理屈になってないよなと思いながら読んでいたんですが、ドゥルーズが基本的にアナグラム的な思考を採用する人だったとしたら、合点がいきます。
で、このノマドロジーのキモは、「創造的な逃走線を引く」ということになります。
ノマドワークもたしかにそういう運動でした。
はじめは職場から逃走し、やがて都市から逃走していくかのようです。
現代社会では、人は人としてでなく、労働力としてもカウントされるわけですが、ノマドが逃走するのはある意味必然でもあったわけです。
アナグラム、言い換えは、ある概念が同定されることを拒んで逃走していくことだからです。
フーコーだと監視社会や管理社会の話になって行き場に困るわけですが、ドゥルーズは社会はいくらでも水漏れしていると説きます。
それがアナグラムの方法だからです。